さぶろうの本棚#1
こんにちは!!
さぶろうです!
最近読んだ本を紹介しますね〜
じゃじゃーん
人間失格でございます。
“恥の多い生涯を送ってきました“から始まる文章が有名ですね。
あらすじからお話しますね。
主人公葉蔵は人の営みを理解できず人に恐怖を感じていました。そんな彼が人の世を生きるために考えたのが道化を演じることでした。前半は人に恐怖しながらも道化を演じ人を楽しませる葉蔵の苦悩、後半は彼の人生の転落が描かれています。
こんな感じでいかがでしょうか。
気になったら読んでみてくださいね!
それでは読もうと思った経緯をお話しますね〜
これ実は最初から最後まで読んだのが2回目なんです。
好きな人は何回も何回も読んでそうですね。
僕が最初に読んだのは中学2年生の時です。授業中に椅子を引いて机で隠すように読んでいたことを思い出します笑。良い子はマネしないでね。そのころは読んでも読んでも言葉が分からなかったりして何度も同じページを読み返していました。懐かしい〜
読み終えた後自分の中の世界が少し変わったような感覚がしました。中学2年生ですから影響されやすい時期ではあったのですが、、、笑
人間を怖いと感じる感覚があるなんて考えたことがなかったからです。
お話をすることも、ご飯を食べることも、ゲームをすることも楽しいと思っていたから。
でも葉蔵はそれらを理解できなかった。(後半の方では人の営みをまぁ理解できているように見えましたけど)
当時の僕にも柄の悪いお兄さんたちを見たらその場から離れたくなるような感覚は当時の自分にもありました。でもそれはどちらかというと潜在的で輪郭を帯びておらず言語化できないような恐怖でした。
しかし人間失格を読んでそれが輪郭を帯びて少しだけ人を怖く感じてしまうようになりました。
まあ簡単にいうと当時の僕はこれを読んで厨二病になりました。今は多分完治してるはず、、、
それだけ影響力のある本なんです。
それでもう一回読んでみるかって思いました笑
2回目は以前読んだ時と感想がやはり異なりますね。
色々と考察してみたい箇所はあります。
作中で語られる“罪“は何かとか"ただ、一さいは過ぎて行きます“の意味とか。
でも今回はタイトルでもある“人間失格“の意味について考察したいと思います。
考えたけど結構難しいですよ。これ、、、
中学生の時に一回考えたけど分からなかったからなぁ
でも大学生になった今自分なりに考えてみました。中学生の頃と同じじゃ恥ずかしいからね笑
状況を単純に整理すると脳病院に入院した葉蔵はそこで人間失格を自覚します。“もはや、自分は、完全に、人間では無くなりました。“という一文があります。それ以前は少なからず人間ではない部分を認識していたような言い方だなと思いました。
脳病院に連れてこられた時に自分自身を狂人、廃人と思うシーンがあります。狂人、廃人=人間失格ということでしょうか、、、
じゃあ狂人、廃人ってなんだろうって思います。読んだ感じだと脳病院に連れてこられた人のことみたいです。
うーん、、、難しい、、、
でも彼が人間失格と思ったきっかけではあると考えられます。
そこで僕は葉蔵の人間の定義について考えてみました。
考えてみれば葉蔵は人間の営みが理解できなかったのでそもそも人間を定義できなかったんじゃないかと思っちゃいました。
はい、終わり
んじゃねえええ!!!
1300字以上書いてこんな冴えない締め方じゃだめやろがい!
ということで考え直します。人間の営みが理解できなかった彼は道化を演じることで世の中を渡ってきました。
そのことに注目すると脳病院に連れてこられた彼は廃人のレッテルを貼られると考えある種の諦めを感じたように思えました。
廃人となった自分は人間ではなくなり、道化を演じる必要がなくなった
こういうことじゃないでしょうか!
道化を演じなくなった彼は自分の人間としての要素を失い人間失格となった、、、
なんだか腑に落ちた感じがします。
他の観点から見るともっと良い答えがあるかもしれません。浅慮ではありますがこの考察をもって今回のブログは終わりとします。
皆さんはどう考えますか?
コメントは自由に書けるように設定していますのであなたの考えを教えてくれたら嬉しいです!
ここまで読んで頂きありがとうございます!!
ではまた〜